僕が田舎に住んだ理由

北海道喜茂別町に移住したデザイナーが感じたこと

北海道に移住します。

ずっとやろうやろうと思いながら始められなかったこと。正確にいうとこっそり始めて、こっそり辞めたこと。それはブログを書くこと。いつも長続きしないことでしたが、今回はちょっと重い腰をあげて頑張ってみようかと思います。

というのも、ちゃんと日々感じていることを書き留めておきたい理由があるんです。それは、大学進学をきっかけに住み始めた東京を離れ、13年ぶりに拠点を北海道に移すことにしたから。大きく生活スタイルを変えるタイミングで、その経験をちゃんとまとめたいなぁと思ったのがきっかけでした。

ちなみに、移住先は喜茂別町という札幌の隣にある人口2000人程度の小さな町で、蝦夷富士と呼ばれている羊蹄山が綺麗に見える自然が豊かなところです。 www.town.kimobetsu.hokkaido.jp

今回は初エントリーなので、これまでの経験とこれからのことを少しお話しできればと思います。

これまでのこと

上京して13年。すごく良い経験ができたし、たくさん出会いがありました。振り返ると、デザインの勉強をしていないにも関わらずグラフィックデザイナーとしてスタートさせた僕の社会人生活は、「できないことをやる」ことの連続だったなぁと思います。

社会人生活をスタートさせたデザイン事務所は、デザインの勉強をしていないにも関わらず快く僕を受け入れてくれ、デザインの楽しさを教えてくれました。入社してすぐに恩師でもある社長が亡くなるという“アクシデント”も、いま考えると良いことだったなと思います。そのおかげで自立しなきゃと思えたし、それがなかったら今はないかなと思います。恩師から言われた「お前さ、この文字あと2mm左にずらしてみろよ。もっと良くなるから」と言って示してくれたデザインと、初めて大きめな仕事でデザインが採用されたときに「これお前やったの? いいね、やっぱり」と言われた景色は忘れられないし、未だにその恩師にもっと認めてもらいたいという想いでデザインしているんじゃないかなと思うこともあります。

その後、入社したスタートアップも、事業内容もよくわからないまま「代表と友達」というだけで創業半年くらいのときに入社しました。彼がバンドマンのときから「一緒に仕事したいね」という約束を実現させた感じ。それから5年弱、たくさんのことを経験させてもらいました。もともとのキャリアだったグラフィックデザインの仕事はもちろん、初めて経験したWEBデザインやUI/UX設計、アジャイル開発におけるプロダクトオーナーやスクラムマスター、メディア運営から広報・マーケティング…と、会社の状況に合わせて適任者がいない役割を埋め続けてきたことは僕にとってとても良い経験でした。半年に1度は役割が変わっていたので、なかには僕がデザイナーだということも知らない方もいるかもしれません。

今回の決断はそれらでの経験や出会いがあったからこそできたことだし、いま自分の強みとなっている「組織内の“足りない”を埋める」という働き方はここでしかできなかったことです。

なぜ移住するのか…

そんな僕が喜茂別町で何をするのか…実はずっと「いつか生まれ育った北海道を盛り上げるために自分の経験を還元したい」と思い続けていました。今回はそのチャレンジの第一歩だと思ってます。そして、自分自身のチャレンジというのはもちろん、昨年生まれた息子と向き合ってきて「自然のなかで四季を感じながらのびのび育ってほしい」と思うようにもなったのも理由のひとつです。

もともと妻とは「羊蹄山を毎日見ながら暮らせたら幸せだね」と話していたこともあり、喜茂別町の地域おこし協力隊に応募することにしました。

これからは喜茂別町を拠点に、いわゆる「地方創生」ということを軸に仕事をしていくつもりです。そのなかで、喜茂別はもちろん、北海道の魅力をみなさんに伝えながら、ドラえもんに出てくる“空き地”のような「誰でも気軽の集まれる場所」を作りたいなと思っています。

そして、そのなかで経験したことや感じたことをここで書き留めておこうとと思っています。